"Sociology: A very short introduction" by Steve Bruce を読みました

 あけましておめでとうございます。2012年が皆様にとって良い年になりますように。

 様々な学問を手短に紹介する"A very short introduction"というシリーズがあるんですが、今回は「社会学」を選びました。社会学は文系の学問の中では新しく、何を研究しているのかいまいちよくわからないのでお勉強してみようと思ったわけです。面白いと思ったところを抜き出して紹介します。

 8世紀のAdam Smith, David Hume, Adam Ferguson等が社会学の始祖で、社会学がさかんになったのは20世紀になってからです。強力な宗教や社会組織が支配している社会では、自分たちの社会を唯一絶対とみなし他の形式の社会が存在することさえ考えようとしないので、自分たちの社会を相対化するような動き(社会学)は生まれないのです。社会学が生まれるためには宗教権威や社会の支配構造の弱体化が必要だったのです。

  • 平等とは何物か

 人間はみな平等である。これほど当たり前の考えは他にないかもしれません。国の名前に「民主主義」が入っているのに世襲の独裁者が支配する例の将軍様ワンダーランドのような例外を除いて、民主主義国家の憲法法の下の平等を必ず保障しています。もちろんわが日本国憲法も例外ではなく14条で法のもとの平等を宣言しています。
 しかし、時代劇を見たりすると昔は武士が一般人を斬り捨ててもオッケーだったらしいので、平等という概念は普遍的ではないようです。封建制度の下では職業上のステータスと個人のステータスは一致しなければ社会が成り立ちません。例えば小作農は寝ても覚めても常に小作農として殿様に仕えなければならないのです。近代化によって封建制度が崩壊すると人々はもはや先祖代々の職業やステータスに縛られなくなりました。また鉄道や馬車などの移動手段の発達によって見ず知らずの他人と触れ合う機会が大幅に増えて社会の流動性が増します。小作農をしていれば主人や自分の家族などの限られた人としか交流する機会がありませんが、社会が流動化すると新しい人に出会う機会が大幅に増えます。新しく出会った人の地位が自分より上か下かを判断するのが煩わしいという実際的な理由も「平等」概念の普遍化に一役買ったようです。
 近代化によって職業上のステータスとそれ以外の場におけるステータスが分離されました。小作農は常に小作農ですが、サラリーマンは勤務時間が終わればサラリーマンではなくなり、オフィス以外の場所で高いステータスを獲得することも可能になったのです。例えば、職場では冴えないサラリーマンなのにツイッター上では人気者とか、地元の草野球チームでは4番ピッチャーのスターみたいなこともアリですよね(只野仁みたいですが…)。
 人はみな平等と言っても、上下関係がなければ組織は成り立ちません。例えば「上官に自由に意見できる軍隊」が戦争をしたらどの様なことになるかは想像に難くないと思います。人とその人の役割を分離することによって、役割には上下がある(例えば会社の上司と部下の様な)が、ヒトは全て平等であるという考え方ができるようになったのです。封建制度の下では小作農と殿様が平等という考えが浸透したら社会は維持できないのとは対照的ですね。

  • その他面白いと思ったこと

マルクスの理論によればすべてのプロレタリア(生産手段を持たない人)は同一の条件に置かれるのですが、Weberはより貴重な技能を持つ労働者(医者や弁護士などの専門職)は労働環境を自由にでき、自立性を持って生きることができると考えました。また、株式会社が主流になった現在においてはもはや生産手段は個人に所有されることがない、というのも当然と言えば当然ですが、階級闘争的な視点で見れば示唆に富んでいると思います。