チャールズ・ブコウスキーの「勝手に生きろ!」読みました

今回のエントリにはかなりきわどい表現が含まれるので、そういうのが嫌いな方は読まない方がいいと思います。

「チナスキーさん、なぜ鉄道貨物の操車場を辞めたんですか?」
「ええっと、鉄道には何の未来も感じられなかったからです」
「組合は強いし、医療保険や恩給があっても?」
「俺の年齢では、恩給なんて関係ないですよ」
「なんでニューオリンズに来たんです?」
「仕事の邪魔になる悪い仲間が、ロサンゼルスには多過ぎたんですよ。それで、煩わしい奴がいない場所に来て、仕事に打ち込もうと思って」
「すぐに辞めたりしないで、ある程度続ける気はありますか?」
「分かりません」
「どうして?」
「この職場には熱意のある若者の未来がある、と求人広告に書いてありましたよね。だったら、もし未来がないと分かれば辞めなくちゃならないでしょう」
「君、なんで髭を剃ってないのかね?博打でスッたの?」
「いや、まだ」
「まだって?」
「あご髭を生やしたまま、今日中に職にありついてやるって大家さんと賭けをしたんです」
「ああ、分かった分かった。結果は後で連絡するから」
「あの、うちに電話ないんですけど」
「それだったら大丈夫、チナスキーさん」

その夜、三十ドル持って親父がやって来た。刑務所を出る時、親父の目が濡れていた。
「おまえは、かあさんとおれに恥をかかせたんだぞ」親父はそう言った。「チナスキーさん、お宅の息子さん、なんでまたこんなところにいるんです?」と親父に尋ねた警官は、親父とおふくろの知り合いらしい。
「まったく恥ずかしいったらありゃしない。自分の息子が刑務所に入るなんて」
おれたちは親父の車に乗り込んだ。親父は車を出した。まだ泣いていた。「国が戦争中だってのに、お前には行く気もないじゃないか……」
「精神科医が、おれは不適合だって」
「なあおい、もし第一次世界大戦がなかったら、おれはかあさんと出会ってなかったし、そしたらおまえも生まれてないんだぞ……」
「タバコある?」
「それなのにおまえは刑務所だ。おまえ、そんなことして、かあさんを殺す気か?」
車は大通りを下って、安酒場の前を何軒か通り過ぎた。
「ねえ、一杯飲みに行こうよ」
「何だって?おまえ、酔っぱらって刑務所に入って、今出てきたばかりだっていうのに、まだ飲みたりないのか?」
「こんな時こそ、酒なしじゃいられないって」
「おい、間違ってもかあさんの前でそんな事を言うんじゃないぞ。刑務所から出てきてすぐ酒を飲みたいなんて」
「女と一発やりてえな」
「えっ?」
「女と一発やりてえって言ったんだよ」
親父はあやうく信号を無視するところだった。車の中は静まりかえっていた。
「ところで」やっと親父は言った。「分かってるだろうな、刑務所の罰金も、部屋代、食費、洗濯代に加算されるってこと」

 この小説の主人公は小説家志望でアメリカ中を放浪しながら非正規の仕事をとっかえひっかえしているチナスキーという男です。冒頭に引用した二つのシーンはそれぞれ、チナスキーがニューオリンズで雑誌の配送会社の就職面接を受けるシーンと、酔いつぶれて道路で寝込んで往来妨害の罪で逮捕されたチナスキーを父親が保釈金を持って迎えに来た帰りのシーンです。底抜けのクズの話なのになぜか笑えてしまう超お勧めの小説で、コーエン兄弟のブラックコメディー、特に「ビッグ・リボウスキ」みたいな雰囲気があります。チナスキーはこの小説の中で10回以上職場を首になるのですが、ほぼ全て泥酔するかセックスに夢中になるかして会社をすっぽかしたのが解雇理由なので、微塵も同情できないです。
 本の中盤でチナスキーの書いた原稿がニューヨークの雑誌に採用されて、彼女(というかセフレ)を通してヨットを持っている金持ちの老人と知り合いになりようやくかれの人生も上向きになります。ところが金持ちの老人が酒の飲み過ぎで死亡して、チナスキーは元の非正規労働に逆戻りしてしまいます。本の終盤ではドヤ街の職業紹介所で単純作業の仕事先を紹介してもらう所まで堕ちてしまうチナスキー。
 ラストが印象的で、チナスキーがストリップショーを見ているのですがショーのクライマックスになってもチナスキーは冷めたままというシーンで締めくくられてます。

 冒頭の引用にも出てきますが、この小説の舞台は第二次大戦中のアメリカです。強く印象に残ったのは第二次大戦時のアメリカってこんなに「余裕」を持って戦争をしていたんだ、ということです。そもそもチナスキーのような半分ニートみたいな人間でも人並みの生活ができる社会というのは並はずれて豊かな社会です。日本でニートが問題になり出したのも、日本社会がニートを扶養できるほど豊かで成熟した社会になったからです。途上国では職がなければ単純に生きていけないので、ニートが存在しようがないですから。半ニート・チナスキーは車を保有してもいるのですが、軍隊ですら十分な数のトラックを持っていなかった当時の日本と比べると天と地ほどの差があります。語弊を恐れずにいれば戦前期のアメリカは現代日本の生活水準をほぼ達成していたと言えるかもしれません。当時の日本政府や軍の上層部がここまで国力が隔絶した国と戦争をするという決断をどのような根拠に基づいて行ったのかという疑問は、常に検証され続けなければならないでしょう。そうしないければまた新たな悲劇を生むことになると思います。
 また、チナスキーが職業紹介所で求職票を書くとき、大学中退の経歴を高卒と偽装するのですが、大卒の求職者が高卒と偽って地方公務員に採用されたという最近のニュースに重なるようです。日本の直面している問題が過去にアメリカが経験した問題である場合が多いなら、解決法へのショートカットが存在するかもしれない、という点で興味深いです。
 
 この小説はとにかく笑えるので是非お勧めです。