"The Year of Living Biblically" by A.J. Jacobs

 一年間に渡って聖書の戒律に従って生活したニューヨーク在住のライター(A.J.ジェイコブス)のドキュメント。

 サブタイトルにもあるように、ジェイコブスはできる限りたくさんの戒律に字義通り従う生活を送ります。聖書の戒律と言えばモーセの十戒が有名ですが、聖書にはその他にも細々とした戒律が大量に含まれています。食事や服装など日常生活の様々な場面に戒律が及ぶ宗教と言われてパッと思いつくのはイスラム教ですが、実はキリスト教にも同じくらい(現代人の感覚からすると)意味不明な戒律が山ほどあるというのがとても新鮮。例えば、樹齢5年未満の木に実ったフルーツは食べてはいけない、合成繊維(Shatnez)の服を身につけてはいけない、生理中の女性には触ってはいけないetc etc。

 雑誌Esquireにも寄稿するライターならではの軽妙なジョークや、ちょっといい話が散りばめられていて全く飽きずに最後まで読めるのがポイント高いです。例えば、ジェイコブスと妻がアーミッシュ(現代的な生活を拒否して生活するキリスト教の一派)の村を訪ねる途中に車でintercourse(セックスという意味もある)という街を通過した時にゲスいジョークを我慢した事が"moral victory(道徳的な勝利)"だったり、十戒の「嘘をついてはならない」を逆手に取った妻の「今何考えてるの?」という質問に「こんな素晴らしい奥さんと息子がいるなんて僕はなんて幸せなんだろうって考えてたのさ」と答えたというエピソードなんかは洒落てて好きです。

 ジェイコブスは一年間のチャレンジを開始する前は不可知論者(神がいるともいないとも証明できないとする立場)で、どちらかと言えば宗教に距離を置く都会っ子だったのですが、一年が過ぎて微妙に立場を変化させます。彼は宗教の価値を認め「カフェテリア・クリスチャン」が一つの答えになると主張します。「カフェテリア・クリスチャン」とはカフェテリアで好きな料理だけを皿に盛って食べるように、隣人愛など聖書の良い部分には従って同性愛禁止などの現代的な感覚に合わない部分には従わない穏健派のキリスト教徒のことです(本来は保守派のキリスト教徒が穏健派のキリスト教徒を皮肉って作った単語みたいです)。また、自分のユダヤ人としてのアイデンティティが宗教と不可分に結びついていることを肯定的に捉えられるようになります。

 日本人は無宗教とよく言われますが、この本を読む限りアメリカ人(特に都会のアメリカ人)は一般の日本人と同じくらい宗教とは距離を置いているようです。しかしアメリカ社会の底流にはしっかりとしたキリスト教の文化があるように見えるのに対して、日本の伝統的な宗教は…。その隙を突いてメガチャーチっぽい新興宗教*1がわらわらと湧いてきているのだとしたら、日本にもしっかりと伝統に根ざした宗教の復活が必要なのではないかと思いました。

 ちなみに本書の英語は読みやすいので英語学習者に超おすすめです。

*1:メガチャーチというのはショッピングモールのような施設でエンターテイメントして宗教を「消費」する教会で、共和党の支持基盤です(http://theyoungeconomist.blog115.fc2.com/blog-entry-142.html)。幸福の科●はアメリカのメガチャーチを参考にしていると思います。