"現代アートの舞台裏 5カ国6都市をめぐる7日間"

 日本の庶民には全力で縁の無い世界の話。本当に面白い。

 第一章は華やかなクリスティーズのオークションで幕が上がり、第二章では芸術家ワナビたちの鬱屈感が伝わってくるCalArts(カリフォルニア芸術大学)の伝説の授業が紹介され、その後日本を代表する現代アーティストの村上隆ベネツィアビエンナーレの話まで息つく間もなく引きずり込まれた。

リーマンショック前までは現代アートというのは投機の対象としてすごい注目されていたけれど、それはオークションによって流動性が確保されているかららしい。流動性というのは簡単に言えばいつでも売却できるということ。株や債券、外貨と同じように簡単に売ったり買ったりする環境=オークションがあったからこその現代アートバブルということ…らしい。

 本書ではオークションの様子が生々しく描写されていて、既製品の掃除機で作られたアート作品が10億円以上で落札されたのにはさすがにちょっと驚愕を通り越してドン引きでした。これも当然と言っちゃ当然ですが、オークションで測られる作品の価値は極めて即物的で真の芸術的価値とは必ずしも一致しない。例えば、古い建物が多いニューヨークの高級アパートメントに簡単に搬入できるような小さめのドローイングの値段は高くなる傾向があるそうだ。逆に設置や搬入に大掛かりな装置が必要なインスタレーションっぽい作品(ダミアン・ハーストの作品に牛を輪切りにしてホルマリン漬けにした作品とかあったけど、ああいうのは個人邸には飾れないっすよね)は過小評価される。

 本書はCalArts(カリフォルニア芸術大学)のMFA(美術修士)課程にある伝説の授業「クリット」の密着取材をしているんですが、これがまた僕が抱いていた美大のイメージとは全く違ってるんですよ。僕がイメージする美大というのは作品制作をひたすらする場ですが、このMFA課程には作品制作技術を教える授業はほとんど無いようです。じゃあ学生たちは何をしているのかというと、自分の作品をプレゼンする能力をひたすら鍛えます。

*1
 「クリット」は毎回一人ずつ学生がクラスメイトと教師の前で自分の作品を説明する授業です。仲間の学生からの容赦のない批判にさらされるのはまだしも、仲間からの無関心が一番恐ろしい事態のようです(この授業では寝るも間食するもデッサンするも自由なので、つまらないプレゼンはガン無視されます)。

 アーティストという一番自分の価値観に忠実でいられるはずの職業(しかも作品の解釈を観客に投げておけばよく説明なんぞする必要も無かった)ですら、これほどまでにプレゼン、コミュ力重視のアメリカ社会(=グローバル社会)の恐ろしさよ…。日本人がこの先生きのこるには?と考えてしまいました。

 ベネツィアビエンナーレには各国がパビリオンを出して自国のアーティストを紹介するんですが、このナショナリズムの要素こそがベネツィアビエンナーレの真髄らしいです。オリンピックにしてもそうですが国民国家という概念は現代アートという一番縁のなさそうな分野にも深く根を張っているようです。

 村上隆の話を書こうと思ったんですが火傷しそうなので自重します。