"放浪の天才数学者エルデシュ"

 ポール・エルディシュ(1913-1996)はハンガリー出身の今世紀を代表する天才数学者で、数論や組み合わせ論などの分野で業績を残した。エルデシュは天才数学者という言葉から誰もが想像する通りの変人で、金銭や地位に興味を示さなかった。それどころか生涯で何人かの女性にアプローチされたにもかかわらず一度も女性と関係を持たなかった、らしい(全く性欲が無かった)。母親に溺愛されて育ったので、大人になるまでバターをパンに塗ったり自分の靴の紐を結んだりしたことがなかった。決まった住所を持たず知り合いになった世界中の数学者の家を転々としながら数学の研究を続ける生活を生涯貫いた。行く先々でやりたい放題で迷惑を掛けまくったにもかかわらず仲間の数学者に愛されコミュニケーションを楽しんだ。もちろんエルディシュの天才的な数学的洞察による助言目当てで周りに人が集まったのも事実だが、エルディシュの気配りを絶やさない人格(彼は子供を特に愛し、知り合いの子供たちの誕生日や好物などをことごとく把握していた)やユーモア(自分で生み出した独自の用語を使ったらしい。例えば子供のことを「イプシロン」、神を「SF」と呼んだ)のおかげで周りにはいつも世話焼きの友人たちがいた。

 エルディシュの数々のエピソードと数学的な内容がイイ感じでミックスされていて非常にバランスが取れてている本なので、僕のような特に数学に興味のない門外漢でも楽しんで読めた。特にこの本を読むまでは、よく分からない公理から定理を導きだす初めから終わりまで完全に門外漢には理解不能な抽象思考が「数学の研究」だと思っていた。ところがどっこい、数学とはまさに数の性質を調べる学問であったらしい(もちろんより抽象的な数学もあると思う)。

 例えば、アーロン数というのがある。アーロン数は連続した二つの整数のペアでそれぞれの数の素因数の和が等しいモノを言う。例えば714(2×3×7×17)と715(5×11×13)のペアは、2+3+7+17=5+11+13=29となるのでアーロン数である。1974年4月8日、アトランタ・ブレーブスハンク・アーロンベーブ・ルースが打ち立てた通算ホームラン数記録である714本を破る715本目のホームランを放ち、714と715という数字がメディアを賑わせていた。ジョージア大学の数学者カール・ポメランスはこの二つの数が前述のような特殊な性質を持っているのに気が付き、アーロン数という概念を思いついたのである。その後ポメランスはエルディシュの助けを得てアーロン数が無限にあることを証明する。

 数学の研究が日常生活にある数字から着想を得て始まるというのは、少なくとも僕にはとても目新しくて興奮した。このような着想から始まった研究が他の既存の数学と思わぬ繋がりを見せると、一つの分野として確立する。ところで、アーロン数は不幸にして「重要な新概念を生み出したり、古い概念との新たな結び付きを見せたりしなかったので、今や研究する人はいない」そうだ。