野中猛”心の病 回復への道”を読んだ

タイトルからは心の病を抱えた人たちのドキュメントを想像してしまいますが、実はそうではなく、精神医学全体を俯瞰するための雑多なエピソードの集合が本書です。トピックの範囲は精神医学の歴史から著者の臨床経験、世界・日本の精神医学の現状にまで及びます。

  • 実のところ精神疾患はありふれた疾患である

あなたの親しい友人三人を思い浮かべて、もし彼らに問題が無ければ、精神的にバランスを崩しているのはあなたかもしれません

日本国民の四人に一人が今までに精神疾患に罹患した経験があることがこの刺激的な引用によって示されているのです。

精神病や神経症を患う人の数は全世界で4億人にのぼり、驚くべきことに全疾患の10%は精神疾患です。

毎年世界中で2000万人が自殺を図り、100万人が死亡している。

20〜44歳男性および15歳〜34歳女性の死因の第1位は自殺である。

  • 日本の精神科医療には問題が山積している

この病を受けたるの不幸のほかに、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるもの

約100年前、東京帝国大学呉秀三教授はこう言って日本の精神科医療を嘆きました。

座敷牢戦前の日本では、精神障害を持つ家族を家長の権限で監禁できるという人権無視がまかり通っていました。さらに驚くべきなのは、この座敷牢が法律(明治33年に制定された精神病者監護法)によって正当化され推奨されていた事実です。)は戦後廃止されましたが、座敷牢から溢れ出る精神病患者を収容するために膨大な数の精神科病床が必要となりました。

そこで国は規制緩和(精神科病床あたりの医師の数、看護師の数はその他の診療科に比べて大幅に少なくてもよいという特例)と補助金(低利子融資など)という強力な政策を動員します。これによって精神科病院は大幅に増加しますが、利益優先経営やそれによる患者の入院日数の長期化が問題視されるようになります。

宇都宮病院事件ってご存知でしょうか?1983年に栃木県の報徳会宇都宮病院で看護師が患者を殴打して殺害する事件が2件発生しました。この事件は国際的にも問題になり日本政府は国連などで厳しい批判を浴びることになりました。インターネットで調べてみてドン引きしたんですが、この報徳会宇都宮病院というのは現在でも診療を行っています。自浄作用がほとんど働かない日本の医学界の現状には暗澹たる気持ちになります。

  • 精神科医療のこれから

入院患者を退院させ地域全体で精神疾患を持つ人たちを支えていこう、というのが現在の精神医療の基本的なパラダイムです。そのためには精神科医師だけでなく看護師、臨床心理士ソーシャルワーカーハローワークの職員等ありとあらゆる分野の専門職がチームとして機能することが求められます。

本書で一番印象に残ったのは、著者が精神科医として研修を受けていた時の話です。この病院は精神科改革に燃える若き医師が集まる病院で、非常にユニークな研修を採用していました。その研修とは以下のようなものです。精神科医たちが研修が始まってから最初に行うのは、閉鎖病棟に患者として入ることです。これによって閉鎖病棟の患者の実態を知ることができます。それが終わると掃除係として病棟に入ります。患者たちは看護師や医師には相談できないことを掃除係に相談するので、生の声で語られる患者たちの本音を知る機会になります。

  • 終わりに

こういった新書は「薄く広く」になりがちですが、本書は様々なトピックについてかなり深く論じているにもかかわらず医療従事者でない人にも読みやすい稀有な本だと思いました。