"How doctors think"を読んで医療ミスについて考えた

医者はどんなプロセスで病名を特定するのでしょう?

本書によると、患者と初めて対面した時から診断は始まっていて、目に見えるような徴候(目が充血しているとか顔色が悪い等)、触診そしてレントゲンや血液検査と言った情報を収集しながらいくつかの病名に絞っていき、最終的にはパターン認識として(半ば無意識に)診断を下すというのが実情のようです。

このような意思決定のやり方は、膨大なデータを収集してから初めて分析を行って、結論を下す経済学のような分野とは大きく違っています。なぜなら大量のデータを収集してからじっくり分析して診断を下す悠長なやり方を臨床で採用した場合、正確な診断は下せてもそのころには患者は…ということがあるからです。

不十分な情報からパターン認識によって診断を下す代償は、常に判断ミスのリスクが付いて回ることです。本書では様々な判断ミスの実例が分類されています。

例えば、四十代前半の森林レンジャーは胸の痛みを訴えて救急外来を受診したが、レントゲンや血液検査、心電図に問題が無かったので対応した医師は心臓に問題はないと考えて彼を帰宅させた。しかし翌日、この森林レンジャーは心筋梗塞で病院に運び込まれることになってしまった。問題は無いとして見過ごされた胸の痛みは実は狭心症の発作だったのだ。心電図で狭心症を診断できるのは50%のケースだけなうえ、この時にはまだ心筋が障害されていなかったため血液検査にも異常は認められなかったのだ。

ここまでの話だと「なんだしょうがないじゃないか」という気分になりますが、これは representative error というミスの類型の代表です。ここでもし胸の痛みを訴えて救急外来を受診したのがメタボ腹の六十代男性だったと仮定しましょう。そうであったならば、医師はたとえ心電図や血液検査に異常が見られなかったとしても狭心症を疑って適切な処置を取れた可能性が高くなります。患者さんが健康そのものの(なんとボートのカナダ代表としてオリンピックに出場した経験もあった)森林レンジャーであったという事実が医師が判断を下す上でバイアスとして働いてしまったのです。

その他、医師の判断ミスを減らす上で患者の果たす役割の話などにも言及されており、医師や医学生で無くても読んで為になると思いました。

ウラジミール・ナボコフ ”ロリータ”

 「ロリコン」というワードの語源ともなった作品。妻に逃げられたフランス人のハンバートはアメリカに渡り、下宿先の娘である十二歳の少女ロリータに心を奪われていく。(こう書くと妻に逃げられたショックから少女に惹かれたようだけど、ハンバートのガチロリコンぶりは少年時代にまで遡る根深いもので、そのあたりの経緯も冒頭でねっちょりと詳しく語られる。)

 あまりにもロリータに傾倒してしまった挙句、ロリータの母親と結婚するという暴挙に出るハンバート(なんで?と思われる向きもあろうが、何を隠そうハンバートは超絶イケメンのモテ男という設定なのだ!)。しかしロリータの母は生意気なロリータに手を焼いていてサマースクールに送り込んでしまう。さらにハンバートにとって悪いことに、ロリータは全寮制の学校に行くことになっているのだ。狂気に駆られたハンバートは妻殺害の計画を練るが、どうしても妻をあわれに思う気持ちが先に立って実行できない。

 ある日、ハンバートが家に戻ってくると妻が錯乱している。ハンバートのロリータに対する想いが綴られた手紙が発見されてしまったのだ。ハンバートをケダモノ呼ばわりして家から駈け出して行った妻は、なんと、車にはねられて死んでしまう。

 望外の幸運を得たハンバートはいそいそとロリータをサマーキャンプに迎えに行き、妻が病気だと嘘を言ってロリータ(今やハンバートの義理の娘になった訳だけど)をまんまと引き取り、グロテスクなロードムービーよろしくモーテルを転々としながらロリータと情欲の限りを尽くす。

 というのがこの本のあらすじなんですが、まず驚いたのが主導権を握っているのがハンバートで無くロリータだという点。そもそも二人は恋愛関係にある訳ではなく、ハンバートが一方的にロリータに欲情して恋焦がれるという関係で、ロリータの方はハンバートのことをなんとも思っていない(ハンバートがある男を殺すのはこれが原因だったりする訳ですが)。ロリータに物を買ってやったり行きたいところに連れて行ってやったりして最大限にご機嫌をとってもハンバートが得られるものといえば、反抗的な態度とたまのセックスだけ。ハンバートも身寄りのないロリータに、オレが逮捕されたら児童養護施設行きだぞと脅してみたりするものの、結局はロリータの機嫌を伺う羽目になる。

 普通に考えたらただの鬼畜なんですが、ロリータの機嫌を窺うハンバートからは哀れさや滑稽さが漂います。最後の方のシーンで、ロリータをその少女性ゆえで無く本当に愛しているとハンバートが悟るシーンはグロテスクで身勝手なのにもかかわらず心を動かすモノがあります。

 あとがきでナボコフの「小説を読む事はできない。ただ再読することができるだけだ」という言葉が紹介されてるんですが、またいつか再読してみたいです。

スタンフォード大学の"History of the International System"という授業を「受講した」

 東大がcourseraで授業を配信するとかで日本でも盛り上がりつつあるオンライン配信の大学講義ですが、アップルのiTunes Uで配信されてるHistory of the International Systemという授業を聞いてみた。

 iTunes Uには誰でも知ってる世界中の有名大学の講義がたくさん登録されていて無料で視聴することができます。余談ですが最近話題になってるcourseraはさらに進化していて、ユーザー登録をして授業を履修しテストに合格するとオンラインの修了証がもらえるという、もはやネット上の無料大学と言っても過言ではないシステムを誇ります。iTunes Uはそこまでの機能は無く、ただ講義をダウンロードして視聴できるだけです。

 この"History of the International System"は現代史の講義で、一回の講義時間が約1時間の26コマの講義から成ります。スタンフォード大学という世界最高峰の大学の授業だから難しそう、と思う人もいるかもしませんが、世界史に関する常識的な知識のある人なら普通に理解できる内容です。教授の話し方も非常に落ち着きがあって論理的なので、英語力もそこまで要求されないと思います。

 生の英語を聞いてみようと思い立って洋画に手を出す人が結構いると思いますが、それよりもニュース、ドキュメンタリーあるいは"History of the International System"の様なあまり専門的すぎない大学の講義から入った方が楽だと思います。なぜなら、映画はスラングだらけの上に声に感情がこもっていて非常に聞き取りにくいのに対して、大学の講義やニュースは相手に分かりやすく内容を伝えることを目的としているからです。

 講義の中で触れられている、オスマン帝国の衰退が周辺国の領土的野心を刺激して第一次大戦の遠因となったという話は、現代の東アジアにも通じるような気がします。

ミチオ・カク”2100年の科学ライフ”

  • 未来は既に存在する

ひも理論で有名な物理学者ミチオ・カクの一般向け科学書。タイトル通り2100年の世界で実現しているであろうテクノロジーを科学者の立場から予測している。単に科学技術のみならず、未来の社会・経済についての深い考察もしてある。

例えば、ムーアの法則(18か月ごとに半導体の性能が倍になるという法則で、インテルの創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した)が成り立たなくなる時期を2020年頃と予測している。そうなればPCやスマホの性能向上が見込めなくなり、人々が電子機器を買い替えなくなるので深刻な不況が発生する。

既に存在するテクノロジーから将来を科学的に推測するという営みについて、「未来はすでに存在する。ただ均等に散らばってないだけだ」というウィリアム・ギブスンの言葉で説明しているのが超カッコいい。

  • ヤバい、凄い、ミチオ・カクの科学への楽観主義

今日、われわれは自然のふるまいの振り付けができるようになり、ときには自然の法則をいじれるようになった。だが2100年になるころには、自然の支配者へと移行しているだろう (p20)

公害・大規模な事故等、科学の負の側面が強調されがちな現代日本に暮らすぼくの目には、この強烈な科学への信頼(というかもはや信奉)はかなり新鮮に映る。ちなみにこの引用から2ページ後には「混乱と愚かしさの力に屈しない限り、惑星規模の文明への移行は、だれにも制御できない仮借なき歴史とテクノロジーの力がもたらす最終的な結果として、必ず起きるのである」と断言している。

  • 医者の卵の視点で

医学生なので医師という職業の将来について考えてみた。トイレや服に埋め込まれたチップが呼気や排泄物を常時モニタリングして病気を未然に予防したり(毎日無意識的に健康診断を受けているようなイメージか)、コンピュータープログラムが病気を診断できるようになったりする。将来的には現在の医師の業務のかなりの部分が自動化されるのは確実な中、人間の医師に最後まで残されるかもしれない領域はどこだろう?言い換えれば、医者がこの先生きのこるには?

それは肉眼の情報を武器にできる分野だろうと思う。なぜならコンピューターは対象を立体的に把握したりするパターン認識を最も苦手とするからである。例えば検査値を見て診断を下して治療方針を決定するような内科的な業務が自動化される日はもうすぐそこまで来ているが、腫瘍っぽい部分を目視して切り取る外科医的な業務が自動化されるのは相当先の話になるのではないか…等と愚考してみた。

野中猛”心の病 回復への道”を読んだ

タイトルからは心の病を抱えた人たちのドキュメントを想像してしまいますが、実はそうではなく、精神医学全体を俯瞰するための雑多なエピソードの集合が本書です。トピックの範囲は精神医学の歴史から著者の臨床経験、世界・日本の精神医学の現状にまで及びます。

  • 実のところ精神疾患はありふれた疾患である

あなたの親しい友人三人を思い浮かべて、もし彼らに問題が無ければ、精神的にバランスを崩しているのはあなたかもしれません

日本国民の四人に一人が今までに精神疾患に罹患した経験があることがこの刺激的な引用によって示されているのです。

精神病や神経症を患う人の数は全世界で4億人にのぼり、驚くべきことに全疾患の10%は精神疾患です。

毎年世界中で2000万人が自殺を図り、100万人が死亡している。

20〜44歳男性および15歳〜34歳女性の死因の第1位は自殺である。

  • 日本の精神科医療には問題が山積している

この病を受けたるの不幸のほかに、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるもの

約100年前、東京帝国大学呉秀三教授はこう言って日本の精神科医療を嘆きました。

座敷牢戦前の日本では、精神障害を持つ家族を家長の権限で監禁できるという人権無視がまかり通っていました。さらに驚くべきなのは、この座敷牢が法律(明治33年に制定された精神病者監護法)によって正当化され推奨されていた事実です。)は戦後廃止されましたが、座敷牢から溢れ出る精神病患者を収容するために膨大な数の精神科病床が必要となりました。

そこで国は規制緩和(精神科病床あたりの医師の数、看護師の数はその他の診療科に比べて大幅に少なくてもよいという特例)と補助金(低利子融資など)という強力な政策を動員します。これによって精神科病院は大幅に増加しますが、利益優先経営やそれによる患者の入院日数の長期化が問題視されるようになります。

宇都宮病院事件ってご存知でしょうか?1983年に栃木県の報徳会宇都宮病院で看護師が患者を殴打して殺害する事件が2件発生しました。この事件は国際的にも問題になり日本政府は国連などで厳しい批判を浴びることになりました。インターネットで調べてみてドン引きしたんですが、この報徳会宇都宮病院というのは現在でも診療を行っています。自浄作用がほとんど働かない日本の医学界の現状には暗澹たる気持ちになります。

  • 精神科医療のこれから

入院患者を退院させ地域全体で精神疾患を持つ人たちを支えていこう、というのが現在の精神医療の基本的なパラダイムです。そのためには精神科医師だけでなく看護師、臨床心理士ソーシャルワーカーハローワークの職員等ありとあらゆる分野の専門職がチームとして機能することが求められます。

本書で一番印象に残ったのは、著者が精神科医として研修を受けていた時の話です。この病院は精神科改革に燃える若き医師が集まる病院で、非常にユニークな研修を採用していました。その研修とは以下のようなものです。精神科医たちが研修が始まってから最初に行うのは、閉鎖病棟に患者として入ることです。これによって閉鎖病棟の患者の実態を知ることができます。それが終わると掃除係として病棟に入ります。患者たちは看護師や医師には相談できないことを掃除係に相談するので、生の声で語られる患者たちの本音を知る機会になります。

  • 終わりに

こういった新書は「薄く広く」になりがちですが、本書は様々なトピックについてかなり深く論じているにもかかわらず医療従事者でない人にも読みやすい稀有な本だと思いました。

トマス・ピンチョン"競売ナンバー49の叫び"を読んだ

ラジオDJの夫暮らしている主婦エディパ・マースが突然むかし付き合っていた大富豪ピアス・インヴェラリティの遺産執行人に指名され、遺産の調査を進めていくうちに「トライステロ」という謎の郵便組織の影がちらつき出す…というストーリーです。タイトルが独特なので結構知名度の高い小説なのでは?

トライステロが実在するのか、それともピアスがエディパに遺した壮大な悪戯なのかははっきり示されません。その上、エディパの精神分析医・ヒレリアスが発狂してクリニックに立て籠ったり夫のムーチョが(ヒレリアスから処方された)LSDをキメるようになったりします。誰が正気なのか分からないパラノイア的雰囲気が物語をさらに混沌とさせます。トライステロは実在するのか、ピアスの悪戯なのか、それともエディパのパラノイアの産物なのか?

「競売ナンバー49の叫び」以外にも、「マトリックス」や「ビューティフル・マインド」など妄想を主題にしたストーリーが人気なのは、目の前の「現実」が自分の妄想であるかもしれないというデカルト的な不安が結構普遍的な証拠なのかもしれません。

ゼロトレランス(震え声

突然幼稚園から出席停止になった五歳の冬、私の子ども時代が終わった日。バブル・ガンで遊んでいた私の口走った一言は、ゼロトレランス魔法にかけられて「テロリスト的脅迫」になった。その瞬間から、連邦政府への復讐が私の人生の全てになった…。

15年後−−−連邦準備銀行の金庫から大金が盗まれる。FBI捜査官が空っぽの金庫で目にしたのは、狂気じみた赤いペンキで壁いっぱいに描かれた「ハローキティ」だった…

ウマ・サーマン主演「バブル・ガン」近日公開

コーエン兄弟の新作?いえ半分実話です。

(CNN) 米ペンシルベニア州の幼稚園に通う5歳の女の子が、引き金を引くとしゃぼん玉が出るハローキティの玩具「バブルガン」で「テロリスト的脅迫」をしたとして、停学処分を命じられた。
問題にされたのは、帰りのバスを待っている時に友人に向かって言った「私が撃つから撃ち返して。みんなで遊ぼう」という言葉だった。
「事件」があったのは1月10日。園児側の弁護士によると、この園児は翌日、園長室に呼び出され、10日間の停学処分を命じられて帰宅させられたという。
                           <中略>
14日になって幼稚園側は、停学期間を2日に短縮することを決定。記録の分類は「テロリスト的脅迫」から「他人に対する危害脅迫」に変更した。「園児の年齢を考慮して」、刑事事件としての届け出は見送った。 http://www.cnn.co.jp/usa/35027235.html

ちなみに「ハローキティのバブルガン」はこれです。

ゼロトレランス(無寛容性)」というのは他の児童に危害を加える生徒を強制的に退学させる制度で、アメリカの教育現場で最近導入が進んでるようです。いま日本でもいじめや体罰の議論が沸騰してますが、この「ゼロトレランス」もラディカルなアイデアの一つとして導入が検討されるかもしれないです。もし日本でゼロトレランスを導入するとしても「適切な運用」をして欲しいものです。

ちなみにこのニュースを聞いてパッと頭に浮かんだのは、コーエン兄弟のブラックコメディ、『バーン・アフター・リーディング』(原題: Burn After Reading)です。僕はこの映画が大好きで周りに布教してるんですが、あまり共感してくれる人はいないです。悲しい…